子どもの頃大嫌いだった給食。親になった今なら言える「給食さんありがとう」。食事を一食分お任せできる、それだけで母は助かる。
ブロガーIさんが学校給食について書かれていたのでわたしも書く。Iさんのお子さんが通う小学校では給食は完食が基本らしい。お子さんは3年生。学年が上がるに連れて指導が厳しくなってるそうな。息子の学校の逆を行く感じです。
食育視点の「全部食べよう」は国を挙げたムーブメントだが、給食を含め学級運営は基本的に担任の采配だと思ってる。血反吐吐いてまで一教員の方針に従い完食する必要があるだろうか。否。
一方で子どもが学校給食に守られているのも事実。「子どもには栄養のある食事を」という考えがあって、国はそれに基づいて給食1食に入れる栄養素と量を決める。それをうけて給食関係者がメニューを組む。子どもは栄養バランスのとれた昼食を食べられる。大人の保護下にある分、それなりの理由なしに「食べない」は通じない。大人になれば食に関して自由になれる。好きに食べていい。でもそこには責任が伴う。ジャンクフードばかり食べて体調を崩しても誰のせいにもできないのである。しかしボーイズビーアンビシャス。思春期はもうすぐだ。目指せ支配からの卒業。桃の天然水と銀チョコロール(時代)がランチになる日は遠くない。
高学年になると完食と入れ替わりに「食べる時間が短い」問題が出てくる。中学校で話題になったけど小学校も一緒。
4時間目の授業が延びて「いただきます」の時間が遅れるのはしょっちゅう。行事練習で配膳時間帯に集合がかかると食べる時間は実質5分くらいになるらしい。飲み込むしかないじゃないか。咀嚼ってなんだ。食育ガン無視。
そんな感じで学校給食の食育なんてトータルで見ると案外ゆるいんじゃないかと思う。
給食メニューには大人の事情も多分に絡む。毎日牛乳が出るのは、定められたカルシウム量を効率的かつ安価に摂取できるから。もし安く大量の小魚が給食でサーブでき子どもが食べきれるならカルシウム摂取を牛乳にお任せする必要はない、はず。カルシウムは牛乳で安価に済ませる一方、地産地消志向で国産ピーナッツを使ってたりする。贅沢。
というわけで学校給食はツッコミどころ満載だからこちらもあまり完食・食育と真剣に取りあわなくてもいいんじゃないかな。和食と牛乳がセットで出てくる時点で無茶振りじゃん。
遮二無二完食目指して吐いたり学校に行きたくなったりするくらいなら母ちゃんはいつでも学校に乗り込む。だからムリしないでダメな時はわたしに言いなさいと説明する。それでも子どもががんばって食べるというなら、母はとりあえずグチ聞きに徹し本人にがんばってもらうしかない。「お母さん食べられないって先生に言って」、もし子どもがそう訴えてきたらほめてあげよう。できません・諦めます・やめます・助けてくださいというのはすごく勇気がいることだから。
付け加えるとしたら、自分の給食に関するトラウマと現在子どもが抱えている給食問題は切り離して考えたほうがいい。完食できないことが将来的に子どものトラウマになるとは限らない。1年後には忘れている可能性だってあるのだ。そこを混同するとドッヂボール非人道説の是非と似たことが起こる。
給食完食問題。結局はIさんが書かれている通りわが子を観察して出ていくか引っ込んでるか判断するしかないということになる。なにこのわたしのムダな記事。
給食で苦手なものがある。きっと好きなメニューもあるだろう。好きと嫌いの混在。給食は世の中そのものだ(ほんとかな)。あるのは給食が存在し完食できない・食べられないものがあるという事実と、好き嫌い辛い楽しいといった感情と感想。考えても正解はない。しかし考えることに意味があるのです。よく考えました、わたし。ドンマイ。