耳のないパンを焼く41の方法。

40代主婦がより良く生きるためのブログ。アフィリエイト広告を利用しています。

学生時代の友人をブロックした話

学生時代の友人ひとりを全SNSでブロックした。いうて最近のことではない。今思えば上手に距離さえ取れればブロックは不要だったかもしれず、自分の至らなさを感じる。とても、感じる。同時に、当時のわたしには友人をブロックする「それなりの理由」があったんだと思う。知らんけど。

岡田斗司夫氏が「古い友人はコスパが悪い」ようなことを言っていた。「昔からの縁」で「なんとなく」連絡を取り合う仲。コミュニケーションに時間や労力がかかる割に、リターンがほとんどない、みたいな話だった。納得した。既に別々の道を歩んでる者同士が「昔から友だちだから」と集まったところで、あまり生産的な話が出てくる気もしない。昔話など断固断る。

斗司夫のことはよくわからんが、わたしが思う「リターン」は利用価値とかそういうことではない。修学旅行に持たせる子どもの私服はどうするとか、どこそこのケーキはおいしいとか、亀戸に行くならこのルートが楽とか。そういうちょっとした、でも知ってると役に立つ類のものをリターンと呼ぶ。話してるうちに、自分の問題の見通しがついてくるとかっていうアハ体験的リターンもある。もちろん友人関係が仕事や人脈を運んでくることもある。

大切なのはそれらが「相互的に」作用していることだ。こちらも自分の持てるリソースを惜しまずにご提供できる、ときにモノとか食事代とかでお礼の気持ちを示せる。そして、それらを受け取ってくれる相手であること。喜んでくれるとなお嬉しい。

ところで、なぜわたしは学生時代の友人をブロックするに至ったのか。全てあけすけには書けないが、思い出せる範囲で書いてみようと思う。

理由1:相手から連絡がきて、結果一方的に話を聞かされるのが負担だった

理由2:相手のことばの多くがわたしの価値観を侵すものだった

理由1:相手から連絡がきて、結果一方的に話を聞かされるのが負担だった

わたしがSNSに何かを投稿すると、先方からなにがしかの連絡がくる。初手の内容はわたしの投稿に関するリアクションなわけだけど、2往復目には主語が相手になる。「うちは~」「わたしは~」っていうヤツ。相槌をうつとそのまま「うちは~」「わたしは~」がどんどん展開されていく。「古い友だち」であるが故に、雑に扱うこともできず返信の文言に苦慮する。人の話を聞くのは嫌いではないが、これは続くとしんどいものがあった。で、一旦距離を置こうとSNS1をブロックするとSNS2で連絡がきて、SNS2をブロックするとSNS3で連絡がきて……とモグラたたき状態になって、結局全部の穴を塞ぐに至ってしまった。

理由2:相手のことばの多くがわたしの価値観を侵すものだった

コミュニケーションのための「ことば」は、わりに慎重に考え選択するものだと思っている。ことばって大切で価値あるものなのだ、わたしにとって。どう言ったら相手が不快にならず、円滑に会話が進むのか?相手がわが子でも考える。なので思いつくまま軽率な発言をする(ように感じる)人を、好意的に見るのが難しい。軽率な発言とは例えていうなら、飲酒をやめたいと悩んでる人に向かって「わかるー。飲酒って依存症だからかわいそうだよねw」みたいに悪気なく言うような感じ。そういう、わたし的には思慮がないと感じる発言が続き、「どうがんばったら『友だち』にそんなことばを投げられるのか」「どうがんばったら、そんなリスキーなフレーズを直球で使えるのか」と理解に苦しんだし、度重なるうちに考えるのに疲れた。わたしが思う「ことばの価値」を共有できる人ではなかったんだ。

恐らく、ex友人に悪気はない。ナチュラルボーンにそういう人なのだ。だからといって、ex友人の言動をがまんしてもわたしにメリットはないし、がんばって理解し合おうとも思えなかった。労力に見合うリターンがあると思えなかったからかもしれない。

お察しの通り、わたしのこころは、猫のひたいや狭小住宅並みに狭い。体力も精神力もないので、一度に展開できる人間関係も著しく少ない。どこか「友だちは現地調達するもの」くらいに思って生きてきてしまった感もある。自分の資源を効率よく活用し「必要な人間関係は作ればいい」ポリシーを持って進もうとすると、ex友人とのアレコレを保留しておくのもしんどくなり、打開策としてはこころの狭小住宅から外に出す、しか思いつかなくなった。で、ブロックに至る。

それにわたしがブロックすることによって、相手が「自分は何もしていないのに、山名から突然ブロックされた」と思ってくれるなら、それがいいとも感じた。「山名が加害者であり、自分は被害者だ」というところに着地してもらうのが平和な気もしたんだ。

わたしサイドから見た話は以上である。先方は先方で傷ついたり不快に思ったりしてるかもしれないし、全然わたしに興味ない説も多分にある。ひとえに環境や興味、価値観の違いなのだ。2000文字も書いておいてアレだけど。

わたしは人と話すのが好きだ。会話の中でなにかの拍子に、その人が自分の「好きなこと」を喜々として話し出す瞬間が特に好きだ。そのときの目の輝きや、声や文に現れる高揚感をライブで体験するのは本当に素晴らしい。そういった美しいモーメントに立ち会えることが、わたしにとっての「人間関係で得られる最大のリターン」なのかもしれない。

それを獲得するにあたり、大前提としてことばや話題には慎重にならなければならない。相手の世界観を尊重しなければならない。自分のことばだけで自分の世界観だけを語るのに終始する人は好きくない。わたし個人のプライベートにおいては、それに尽きる気がしてきた。どんまい。