・2024年1月改編
本日の甘やかしは、カールユーハイム バームクーヘン
周りのお砂糖か溶けてしまった。己の管理の甘さが悔やまれる。
<音楽があるからキシリトールガムがある>
*ひとりごちます
幸せとはなにか。
つまるところ「感覚」であるような気がする。
ひとつひとつ、具体的に「幸せ」を見つけていくのはとても良いことだと思う。同時に若干の気持ち悪さを感じるのはなぜだろう。
朝イチのコーヒーとか、窓越しに見る冬場の朝焼けとか、月額980円のアップルミュージックとか、ネコのモフモフとか。わたしにとって幸せであることは確かなんだけど、ことばにしてみると非常にチープで、ある種の虚しさが伴う。
生活は景色みたいなもんである。そこに境界線は存在しない。「これは幸せ」「これも幸せ」「これだって幸せに違いない」と、パズルのピースを拾い上げているうちは、風景の全体像を知ることはできない。それより顔を上げて、目の前に広がる光景を「うわー、きれい」とか言って口を半開きで眺めている方がずっと幸せであるように思う。口を、半開きで。
コーヒーやモフモフは、パズルのピースだな。それだけをしげしげと眺めても、あんまり面白くない。面白くないものを面白いと思い込もうとするのはもっと面白くない。
もちろん、具象的な物事に幸せの意味づけをするのは、よい。そしてそれ以上に、形而上のなんか()に漠然とした幸福を感じることって大切なんじゃないかな(漠然)。
そう。幸福とか良いこととかは漠然としていていいのだ。
NLPには、人の意識レベルを6段階に分けた「ニューロロジカルレベル」というのがある。ニューロロジカルレベルの説明については、概ね忘れてもらってよい。人間の意識は下の6つに分けられる。
上位概念(抽象)
↓
下位概念(具象)
の順に並べると
・スピリチュアル
・自己認識・セルフイメージ
・信念・価値観
・能力
・行動
・環境
細かいことは、まぁいい。ともかく、ちょっと想像してみよう。
キシリトールガムのボトルにプリントされた推しを手に入れる幸福感と、音楽やダンスがある世界にいる幸福感と、どっちが先かって話だ。
お分かりの通り、この場合の概念は
・音楽のある世界が上位(抽象)
・キシリトールガムが下位(具象)
である。果たしてどちらの幸せが優先されるのが得策か。想像に易い。
この世に音楽がなければ、推しは存在せず、推しがいなければ、そのデザインボトルのキシリトールガムも存在しない
推しの写真入りキシリトールガムは、ARMY自身の幸福・存在意義や価値観を超具体化したものなのである。多分。
反対に、キシリトールガムのボトルの山を自分の存在意義や価値観のあり方なんかにつなげていくのは結構難しかったりする。幸せのボトムアップは案外大変なのだ。
幸福は形がなく漠然としている。
物ではなく感覚なのである。
それでいい。
残念ながらわたしはARMYではないが、キシリトールガムは、後で買いに行く。
*キシリトールガム、ボトルは売っていなかった。紙パッケージでさえVとJIMINはご不在でした。わたしにガムを食べる習慣はなく、他のメンバー5人をそろえても食べきれないと判断し、リーダーと希望のおふたりを買いました。