耳のないパンを焼く41の方法。

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自己満足と栗きんつば。

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「自己満足の世界ですよ」

メソメソしているわたしに、A先生は言い放つ。

まじめっぽい話をする前に考え込むクセ、みたいなのがある。
オチのない話で相手の時間を奪ってはいけないとか、理路整然と話したいとか、効率よく伝えたいとか、弱い自分を見せたくないとか、いろいろあるんだと思う。

そしてそういう人は、意外とたくさん居るんじゃないかとも思う。

言語化できない的な?

どうせことばにならないなら、わぁわぁ泣けたら、あたり構わず当たれたらとはときどき思うけど、気持ちを誰かにわかって欲しいわけではないんだよねー。

「誰かにわかって欲しいと思ってはダメです、山名さん」
存じておりますとも、先生。
「たまたま上手く、そのとき欲しい共感が
もらえたらいいですけどね」
ハイ、先生。
「そうじゃないとき悲惨でしょ」
ハイ、先生。
「所詮、自己満足の世界なんですよ」
じこまんぞく。
「自己満足すれば、それでいいんです」

先生のことばは「自分を自分で理解しなくても、別に全然かまわない」みたいな「己に対するちょうどいい無責任さ」が感じられた。
いつの間にか自己探求が過ぎて肩に入っていたんだろうね、わたし。脱力でろーん。

つい考えちゃうクセのある人は、ときどき無責任になれる寛容さや楽観性と、必要に応じてそれらを取り出せるような四次元ポケットを、こころに持っておけるといいね。

ことばにならないと悩んだり、内観しようとがんばったり、したところでなんもならんくても、大丈夫。考えようとなかろうと、自分が満足すればよし。自己探究も自己開示もいらんときもあるんや。

「山名さん、自分の思いとか言語化とかそんなこと一生懸命考えちゃって、ちょっとハイになってたんじゃない?」
ハイ。
「春だからね」
ハル。

春は人を狂わせる。花粉もこころも大暴れである。

息子がお土産で買ってきた栗きんつばを食べた。中学生とは思えない渋すぎるお土産チョイスだけどとてもおいしかった。

3月に栗。やっぱりいろいろ狂ってる。おいしいから満足じゃ。