耳のないパンを焼く41の方法。

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自分軸は要らない。

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「自分軸じぶんじく自分軸うるさい」、そう思っているのはわたしだけでしょうか。

単なる「ことばに対する印象」の話だと思って読み進めてもらっていい。

「軸」とはなにかの中心にぶっ刺さってる棒で、それが回転すれば周りにあるものもグルグル回る。軸といわれるとそんなイメージが浮かぶ。具体的には(怒られそうだけど)豚の丸焼きだったりする。

串刺しにされて(棒に縛られてるのか?)グルグル火あぶりにされている豚の丸焼き。そう、アレ。

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「自分軸」、なぜそんなものを一生懸命探す風潮なんだろう。多様性だとか風の時代だとか言いながら、自分を縛り付ける先を見つけようとするのは滑稽に思える。

そもそも「自分軸」ということば自体、他人様のものじゃん。それを探してる時点で「他人軸」では?

わたしフィルターが多分にかかっていると思うんだけど「自分軸」を連呼する人って力が入ってて必死な感じしない?まぁ、いいじゃない。一回お水でも飲みなよ。と思ってしまう。

必要なのは自分を固定するための軸ではなくて。主体性であり責任感、あと柔軟性、あと意図的な無関心。

自分の主張やポリシーを持ちつつ(主体性)、どうしようもないこともあると受け入れ(柔軟性)、イヤなモノからは離れて放っておく(意図的な無関心)。それによって不利益が起きても人のせいにしない(責任感)。

自分軸やブレない軸探しに疲れている人は一回やめよう。お水でも飲みなよ。

そして「ポリシー」とか「信念」とか「判断基準」とか自分にしっくりくることばを探そう。自分の内側から、探そう。

「軸」ということばにとらわれないで「在り方」という本質に目を向けたい。

「自分軸の重要性」を説く人に出会ったら「あなたがいう『自分軸』とは、具体的になんですか」と聞いてみよう。ブレないとか流されないとか自分らしいとか抽象的な表現しか出てこないなら、その人との連絡先の交換は慎重になったほうがいい。

わたしならそうする。

それにしても、なんだろう「自分軸」って。

分からないままである。まぁ、よい。コーヒーでも飲もう。