耳のないパンを焼く41の方法。

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書いても気持ちが整わないのはなぜ?手帳やノートを使うなら「痛くても感情を削り落とす」こと。

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手帳やノートにこころのモヤモヤを書き出す。やったことがある人(特に女性)は多いのではと思います。わたしも時々やります。そしてその一部はデスノートと化しています。

書くことは「書く瞑想」、ジャーナリングにもつながります。なので無心でペンを走らせることは、なにかしら脳やこころの整理に効果があるはず。ただし「限定的に」、わたしはそんなふうに考えます。

というのも、紙の上にお気持ちをぶちまけるだけでは「自分を主人公としたストーリー」の域を超えないからです。感傷的で主観的でポエティック。そこで書く手を止めてしまうと「悲しい物語の主人公わたし」から抜け出せません。書くことで一時的な癒しは手に入れられるかもしれませんが、本当の意味での解決あるいは軽減には至らないでしょう。

で、なにが起こるかというと、時間をおいて同じようなことでまた悩む。いわゆる「ぐるぐる思考」ってやつでしょうか。

あなたのデスノート手帳やノートには、似たような問題や悩みが繰り返し書かれていないでしょうか。書かれているとしたらおんなじところ、山のふもとをぐるぐる回ってます。登ってるとしても超絶スローペースです。

気持ちをつづったデスノート手帳やノートを見返す気にもなれないのであれば、本当の問題から逃げていると思います。

では、どないせいと?

大切なのは客観的視点です。視点っていうか第3者をこころ(あるいは頭)の中に持つ。そして問題の本質を洗い出し、理想的な状態(ゴール)を定め、問題の解決策を具体的に見つけるわけです。紙を使うなら、その辺まで考えて書いてください。

本質を炙り出すためにも不要な情報は消していきます。そうなると自分の「お気持ち」や「日々のネガティブなエピソード」は、紙の上から大分削られることになるでしょう。第3の自分は、十分な共感を示してくれないかもしれません。ロジカルさばかりを求められるように感じ、傷つくかもしれません。

そして「ロジカル」とか「理論的」の反対は「感情的」ではなく「観察的」であると知りましょう。これは「嫌われる勇気」を書いたライターの古賀史健氏が、ご自身の本に書かれています(わたしのことは信じなくていいんで、有名なライターさんが言うことだと、ひとつ納得してください)。普段から、悲しい自分・辛い自分・怒っている自分を「観察する」視点を持つようこころがけること、慣れること。
*古賀氏の書籍は楽天ROOMに置いてます。

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手帳やノートに話を戻します。具体的には、最終的にA4サイズの用紙1枚に収まるくらいまで情報を精査できるといいです。本当に大切なことはそれくらいシンプルなのです。わたし達のこころ(頭)の中は、感情による主観的な周辺情報が多すぎる。手帳が小さい人は別途大きいノートを買ってください。A4サイズのノートは1冊400円くらいで買えます。

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書いたものを削減していく。それって自分を否定するみたいで辛いかもしれません。でもやらないと、わたし達は変わりません。文章という自分が表現したなにかを「切り捨てる」わけですから、痛くないわけがないです。致し方ないんです。変化には痛みを伴います。解決・改善したいのであれば、多少腹をくくってください。

とはいえ、ひとりでは難しいこともあるでしょう。まぁそういうときのためにカウンセラーとかコーチとかはいるんで、巻き込んだらいいんじゃないかと思います。お金と時間はかかるし、いきなり自分に合うサポーターと出会える保障はないですけどね。ひとりで痛いより、誰かといたほうがいいって言うか、客観的視点・観察的視点も持ちやすいし。

あるいは、ここに書いたような直接的なアプローチをしない、という方法もあります。さっき山のふもとの話をしましたが「ぐるぐるしているように見えて、緩やかな螺旋を描いて上昇しているから大丈夫だよ」と表現する方がたくさんいるのも事実。まぁちょっとすっきりしたし、きっと改善しつつあるだろうと手帳を閉じてしまうのも手です。

どちらにしろ、必要なのは自分への信頼ですかね。ということで本日のわたしのお気持ち表明は終わりです。