健康寿命の終わりとともにサクッと仏になりたい。

そんな考えがいかに甘いのか、山名は感じております。というのも祖母が、本格的に老人になってしまったようで。ええ、40代山名の祖母ですので、90歳は超えておるわけですが。アクティブおばあちゃん選手権があれば入賞の常連だろうなって感じの祖母が(ここで流れていたMrs. GREEN APPLEの春愁を切る)、疲労骨折を潮にあれよあれよと弱っていき、今までできていたことがどんどんできなくなって、気落ちしていく様子は母の電話で聞くだけでも、辛いよね。死は予期せず突然訪れることもあり、それは非常に悲しいこと(だろう)ですけども、死が這うように近づいてくるのを本人も家族も感じながら、逃げることも抗うこともできず、「生きること」と「いなくなること」をいっぺんに考えながら日々をこなさねばならぬことにこの上ない息苦しさを感じるわけです。こういうことを言うと「日本でも尊厳死を!」みたくいう人が出てくるわけだけど、そういうことじゃないんだ。いくら本人がそれを望んでも、99%目を覚まさない状況になったとしても、配偶者や子どもや孫が、ほいそれと命をつないでいる医療的チューブを「外してください」と言えるわけなかろう?

昨年あたり、自分用の「エンディングノート」を買った。書くべき項目が多すぎてすぐに頓挫した。有事に備えて再びペンをとるべきなんだろうか。さしてなにも持たず、家族以外なら失ったところで大したことはないように自分の人生を思っていたが、意外といろいろなものを背負って生きているんだなって。

昨日は久しぶりに、純粋に苦しくて悲しくて泣いた。

 それでも夫にだってわたしが知りえない抱えている事項が腐るほどあり、生死観の異なる相手に気持ちをぶつけまくるのもあかんような気もする。息子の前でいつまでも、ずるずるとメソメソとはしていられない。こういう時に、立て続けに仕事が入ってくればいいのにとも思うが、ないんだなコレが。

ところで神様仏様、コロナの流行で、わたしが何年祖母に会えていないかご存じ?