耳のないパンを焼く41の方法。

40代主婦がより良く生きるためのブログ。アフィリエイト広告を利用しています。

どんな自分にも平等に。ドーナツはもう少し大きくなりませんか。

本日の甘やかし
ミスド
オールドファッションハニー

f:id:pan_mimi:20211228082428j:image

クリスマス前の写真だな……。

ミスドはどんどん高く、小さくなってない?気のせい?

 

自分自身に中庸であること

よく「オンオフを切り替える」みたくいいますが、それってなんか違うように思います。アクセル全開の車のブレーキを急に強く踏んでも、心地の良い停車にはならないように、人生オンでオンでオンできて、突然オフとか、あるいは逆に急発進とか。ムリがありませんか。

コケるぞ。

ましてや、それを繰り返すなんて。
おおこわい。

感情に揺さぶられる自分が、好きではありません。ふと湧き上がる不安・怒り、悲しみ。そういうのが出てくると、内なる瞼を固く閉じてしまいます。うろたえる自分を、見たくないのです。

感情的になる・冷静さを欠いた自分が、好きくない。わたしの中にある気持ちです。共感してくださいますか。

感情に揺さぶられてはいけない。もっと言えば、悪い感情は抱いてはいけない。思えば思うほど、囚われていきます。

冷静であれ。理性的であれ。それはやがて曲解され、負の感情を人に見せてはいけない。ぐちゃぐちゃの本心を、読まれてはいけない。というナゾの信念となり、それを握りしめたまま、今年の最後の方を過ごしてきちゃった感が、実はあるのです。


もちろん100%こころに蓋をできる訳なんかなく。そして喜怒哀楽、特に怒哀がひょっこりするたびに、また感情コントロールができなかったなと、大人気ないなと、自己嫌悪に陥いる。

感情のコントロール問題。ああ、共感してくださいますか。わたしには見えますよ、あなたが首がもげるほどぶんぶんしている姿が。

だからといって、こころの表情筋が死んだ冷徹な自分になりたいのでもありません。


感情が暴れるのも、理性でこころが冷めるのも、人間ですから仕方ありません。大切なのはどちらかに偏ったとき「なるはやで中庸の自分に戻る力」ではないでしょうか。

感情と理性のシーソーです。怒ってる自分に気づいたら、真ん中に戻る。スンって自分が見えたら、真ん中に戻る。

どんな自分がいても構わない。中庸の立場に、素早く戻るスピードを上げたいものです。


こころは「オンかオフか」ではありません。シーソーの右左。フットワーク軽く動けるよう、程よくアイドリングしておきましょう。


自分に平等であれるのは、多分自分だけです。感情的な自分。理性的な自分。どちらの話も、聴いてあげてください。ジャッジは要りません。ただ真ん中で、見守りましょう。

わたしのことも、ぬくたい目で見てください。

 

「どんな自分にも平等である」、その信念があれば、感情を表現することが今より上手になるかもしれませんよ、わたし?ドンマイ。

自分にクリスマスプレゼントは来ましたか?プレゼントがあった方もそうでない方も、元旦には、お年玉をもらってくださいね。子どもだけなんてズルい。
平等平等。