耳のないパンを焼く41の方法。

40代主婦がより良く生きるためのブログ。アフィリエイト広告を利用しています。

その正義は恒久的なものでしょうか。

お笑いコンビAマッソが漫才の中で人種差別的発言、SNSで批判殺到。謝罪後もAマッソ叩きが続いていました。それについて書いたんですが、本日9/29、差別的発言の対象となったご本人から見事な返しがありました。

SNSの騒ぎは誰のためのなんだったんでしょう。

 

 

この記事もタイミング外した感が出ましたが、今回に限らずSNSで人を全否定するユーザーはどうかなって話なので残します。↓↓↓

 

 お笑いコンビAマッソのネタが問題になった。今回はSNSでコンビや所属事務所への批判をやめない人たちについて書く。

 まずネタの内容について、実際ステージを見たわけではないけどコレはアウトです。残念極まりない。痛烈批判記事がほとんどの中、擁護ととれるコラムがある。

https://www.google.co.jp/amp/s/dot.asahi.com/amp/dot/2019092700003.html

 この記事もえらい批判を浴びている。内容がハテナ?なとこも多いけど、賛同する部分がわたしにはある。

「だから彼女たちには罪がない」などと言いたいのではない。もちろん発言自体は問題である。(中略)彼女たちは無知や不勉強・不注意によって問題発言をしてしまった。そのこと自体は反省すべき(以下略)

 今回Aマッソはネタがいけなかったのだ。指摘対象はネタを作った彼女たちの無自覚や無知、あるいは自分たちのネタは面白いという行き過ぎた自負だと思う。しかし所属プロダクションや本人たちが謝罪した後もふたりへの「人間叩き」が止まらない。また誤読する人がいそうだから何回も書くけど今回のAマッソのネタは誰の目から見てもアウトです。でもSNSで彼女たちを叩いてる人たちどうよ。

 彼女たちはかなり前に「〜にふさわしいといえば…○○(俳優の名前)や!」というネタをやっていた。今思えばそれも特定人物をdisり人を不快にさせると物だったと言える。漫才のスタンスは昔から変わってないのかもしれない。でも当時批判は聞かれなかった。今回は誰が聞いても人種差別的なので以前と比較はできない。しかし「今」ここまで批判が集まった、以前にはなかった理由が3つ思い浮かぶ(わたしの脳みその限界)。

・Aマッソの知名度の上昇

ダイバーシティとアンチレイシズムの広がり

・今の世の中がSNS支配下に置かれている

 大きな要因は2つ目を装った3つ目/2つ目と混同された3つ目だと思う。多様性・反人種差別という正義の名を使い、SNS傘下で人々が踊ってる感じがする。

    感情の、特に怒りの瞬発力はすごい。SNSはその瞬発力を最大限に活かせるツールだ。ユーザーとしてそう感じるしごめんわたしもちょくちょくやらかす。まだまだ誤読する人がいそうだからもう一回言うけどAマッソの発言はアウトだし擁護記事に全面賛同もしてない。公開アカウントで個人的怒りを「即時発信」するユーザーの話をしている。「思ったことを書いただけ」、でも彼ら(わたし達)はSNSを利用しているつもりで結果的にSNSに負の感情と発言をコントロールされてはいないか。

 上の擁護記事の書き手を名指しで「馬鹿」と言い切る投稿も複数見た。人を公に本気のバカ呼ばわりしていいわけがない。擁護記事を理解する必要はないしイヤなものはイヤでいいが本当にダイバーシティを認識している人からは「こんな記事書く著者は馬鹿」なんて暴言は出てこないと思う。だっていろんな意見や価値観だってダイバーシティなんじゃないの?

 怒りや嫌悪を感じるのは普通だし、SNSで発散するのもいい。でも何かにつけて裁きたがる人が多すぎる。反論されればまた揚げ足を取って相手を罵る。やっているのは善悪の判断じゃなくて突発的怒りの泥玉連投に見える。わたしも気をつけます。書いてて自分にどんどん自信がなくなってきた。

    ネタはすでに大きく問題視されておりAマッソは然るべき人から然るべき注意や処分を受ける(前も同じような文章書いたな)からSNSユーザーが最低最悪芸人やめろとか決めなくていい。

 批判関連記事にはこんなのもあった。

Aマッソはビジュアルも比較的良く、“お笑い第7世代”として霜降り明星らとテレビに出演する機会も増え、今後のブレイクが期待されていますが、(以下略)

 「ビジュアルも比較的良く」そこ、なくても文章成立するよね?女性差別だー容姿をいじるなんてサイテーだーこの発言をしたお笑い関係者とそこを拾ったライターはアンチレイシズムダイバーシティを理解しているのか―。不要な泥玉投げを始めないように「わたしは個人的にビジュアル云々は不要だと思うしなんかこの文イラッとする」と述べるに留める。

  今回個人の中でAマッソと人種差別が紐づけされて「人種差別的ネタがイヤでAマッソが嫌いになりました」「人種ネタを使う芸人は嫌いです」になるなら分かる。でも大勢が一律的に「人種差別は悪=Aマッソは悪」と騒ぎ出す(わたしはそう感じる)のは違和感を持つ。コンビが嫌いならあれこれ理由をつけるより「生理的にムリ」で終わるのが早い。

 このブログが公開される頃には多少騒ぎは落ち着いているのだろうか。落ち着いているとしたらSNSでよくある炎上でしかない。1週間だけ盛り上がる一過性の正義正論ならますます必要ないと思う。

 あんまり人に厳しいと生きづらくなっちゃうよ。わたしもね。自戒を込めて。

にほんブログ村 主婦日記ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ
にほんブログ村

にほんブログ村 主婦日記ブログ アラフォー主婦へ
にほんブログ村

にほんブログ村 猫ブログへ
にほんブログ村