野球部員数名の麻薬使用判明を受け、某大学は同部自体の活動を無期限に停止した。
一部部員の不祥事で、その他全員が被害を被った。いわゆる「連帯責任」案件として情報番組がちょっと騒めいた。他部員が巻き込まれるのはおかしい。問題を起こした者だけが、処分を受ければよい。「個人の責任」であると。
これに対し「夜回り先生」こと水谷修氏が、部の無期限活動停止は「罰」ではなく「教育」だと主張。前出の「個人の責任推進派」と揉めた。……らしい。
ネットの記事を読む限り、わたしは水谷氏に概ね賛成だったりする。
「連帯責任」という表現がよろしくない。どうしても「全員一緒に罰を受けなさい」、そんな響きがつきまとう。ところで質問なんだけど、上の件では大学側が「連帯責任」と言ったのだろうか。会見もテレビも観てなくてごめん。知ってる人、教えて。
「連帯責任」発言がメディア発だとしたら、全部員で責任云々の話などないことになる。大学が与えたのは野球部活動停止の事実だけ。それに対して考えるのが、各部員の課題なわけだ。連帯しなくてよい。
問題は起こってしまった。立ち止まって自分で考えれ。今なら大学という後ろ盾がある。学生として教育機関に守られる立場にいる。社会に出たら身ひとつ。そういう意味を込めて、水谷氏は「教育」という表現を使ったんじゃないかと思ってる。
部員がそれぞれ考える。それは個人主義ではないはず。大学に働きかける、個人で練習を続ける、その場を去る……出る答えはバラバラでも、チームメイトの自発的なアクションに触発され、別の誰かが動き出す。そんなムーブメントが拡大して、全部員が一歩前進できたらよい。ひとりひとりの行動が共鳴し広がれば、みんな大好き"One for All"じゃないか。
結果的に野球部としてたどり着く結論が大人の理想とかけ離れたとしても、指導者や教育者は学生の意向や意思を尊重してあげて欲しいと思う。
そのためにも、まずは学生自身がどうしたいのか考えなくてはいけない。
大人の「個人の責任」思想は、「あなた達に非はないから何もしなくていいんだよ」と答えを与え、学生から考える機会を奪う無責任な教育法なんだよ。
個が個の責任を負うのがいけないんじゃない。「個人の責任」と称して、学生が本来持つ自己解決能力を潰してしまう大人があかんのだ。
生きていく以上、他者との関わりを断つのは不可能だ。団体競技をするならなおさら。チームの問題などどこ吹く風、スタンドプレーオンリーの選手に育てて、どんなゲームができるのさ。
「個人の責任」賛成派に問いたい。もしあなたの子どもや、あなた自身にトラブルが起こった時、個人主義の大人は味方になってくれるだろうか。恐らく「個人の責任」の名の下、さっさとあなたを見捨てていくよ。
「連帯責任」として子ども(学生)になすりつけるのも、「個人の責任」として見放すのも、無責任なのは同じ。学びとかチャンスとか小ぎれいなことばで誤魔化せる問題じゃないけどさ。野球部の学生と共に、成長の機会へと昇華させるのが大人の役目だよ。大人の力量が問われてるんだよ。理想論だと言われようと、おばちゃんはそう思うんだ。
ところで、わたしのチャイルドコーチングアドバイザーの試験結果は、まだ出ていないよ。