耳のないパンを焼く41の方法。

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昔話が「残酷ではない」のはなぜか。

しばしば起こる「昔話の残酷な表現を残すのかなくすのか」討論。昔話に明るい人と話す機会があったので記す。結論から言うと「そもそも残酷ではない」、わたしはそう理解したよ。昔は「勧善懲悪」…良いことは奨励されるし悪はこらしめられる…が当たり前。やったらやられる、やられたらやり返す。党首が殺されたら相手の首を取りに行くタイプのやつだ(曖昧)。故に昔の人に残酷云々訴えても「ハイ?なんで悪事を働いて無罪放免なんですか?」ってキレられかねない(と思う)のだ。ご存知の通り昔話の元ネタってけっこうエグいんだけど、血がぶっしゃーーー、痛みに苦しんでぐうぇぇーーー!描写ってないよね(記憶の限りない)。なので案外子どもって怖がったりしないみたいで、残酷だ残忍だ子どもに見せられないと意味づけるのはやっぱり大人なのだ。特に黒いネズミさん達によってプリンセスストーリーに昇華された話なんかは、みんなが持っているイメージとの落差が大きいせいで受け入れない大人も多いのかしらね。とはいえ、とはいえ。山名は「赤い靴」という話の最後のシーンが幼心に怖くて軽くトラウマになっとります。と、教えてくれた方に申告したら「そういう子もいる」と返ってきた。みんながみんな平気じゃないのはお知りおきを。噂によると某鬼滅は冒頭から首も血もぶっしゃーらしいじゃないっすか。大人も子どももそういうのエンタメとして受け入れてるわけで。昔話にだけめくじらを立てんでもええやん、と思うわけです。でもラプンツェルは読ませたないわ。あれをプリンセスストーリーにしたネズミさん達の二次創作能力の高さにただただ感心する。