耳のないパンを焼く41の方法。

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大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を読んで考えた事。

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 大前粟生(おおまえあお)「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」(以下「ぬいしゃべ」)を読んだ感想というかそこから考えた事。

  甘いマシュマロを食べていたら、突然口の中が酸っぱいグミになった。グミなんだと思い直すとまたマシュマロだ!なんなんだコレ!それが繰り返しやってくる。そんな印象の話。今、わたしの頭の中はぐらぐらしていて、「ぬいしゃべ」もぐらぐらした感じの小説で、今日のブログはいつも以上に変だけど許して。

 「ぬいしゃべ」についてはとある人が「なーる」って感想を書いている。勝手にリンク貼れないんで、Twitterに再度リツイートを挙げておくのでそちらをご覧ください。

 

 わたしは「ぬいしゃべ」を、もっといえばジェンダーに関する今日日のトピックを、おおむね「大人」とか「保護者」の立場から見てるんだなって思った。

 七森の(あるいは大前氏の)ジェンダー観が現代のスタンダードなのかと言えばそうでもないと思う。でも、わりに単純に「男/女」の2種類で人生の大半を送ってきたわたし達と、いわゆるジェンダーフィールド世代って全然違う世界を生きてるんだなって。年功序列で年金もらえて当たり前で生きてきた今の60代・70代と、雇用も老後も綱渡りなわたし達アラフォーの世界観が全然違うみたいに、中年のジェンダーに対する当たり前は、ジェネレーションZ(Yの後半も含む)のそれとは全く異なる。おばちゃん達が意識や問題を該当世代と共有できるかといえばノーです。

 個人的に、マイノリティ、とりわけ性的なそれに関してわりに関心を寄せてきたつもりだった。でも「ぬいしゃべ」を読んで、わたしはLGBTとかノンバイナリーとか、新しいジェンダー観を「今の子ども世代(はっきり言っちゃうとわたしの息子)の親」って立場からしか見てないんだって分かった。わが子が性的マイノリティかもしれないし、それを知ったときに「親として」どうあれるか。シスジェンダーでも、子どもはこの先いろんなジェンダーの人と生きていくわけで、そういう時に相手を差別したり変な風に傷つける人にならないように「大人として」わたしはどう育てるのか。今のジェンダーに関わるトピックを知る事は、わたしにとっては「これから親として生きていくための予習」みたいなもので、当事者意識なんて微塵もないんだなって思うと、ちょっと自分が情けくなった。でもそれは仕方がないのかもしれないと思う。

 

 七森のお父さんが見せるやさしさは嘘っぽい。やさしいおっさんは、自分の振る舞いが違うなって思っても子どもの前では態度を変えない。子どもいないところで、そっと、ぶっきらぼうにお母さんにやさしくする。黙ってお皿を洗ったり、掃除機をかけたり。そういう中年男性がやさしい。わたしは思う。

 

 物語の終わり方はただただ痛々しくて、救いようがない。白城が「ぬいぐるみサークル」(以下「ぬいサー」)における唯一の希望と言えばそうなんだけど、おばちゃん(わたし)は七森も麦戸ちゃんもいずれは「ぬいサー」から出て、白城みたく「適応して」生きる術を見つけるんだよ、今は分からないかもしれないけれど、みたいな気持ちで終わる。その生きづらさはいずれ形を変えるよ、多分それなりの生き方を見つけるよって。それが「正解」とは言えないから、余計辛いんだけど。

 

 先述のTwitterに挙げときますの人が書いていて、まさに!と思った事がある。わたしが抱いた「これはグミかね?マシュマロかね?」的ぐらぐら感の理由のひとつは「求めていた大前作品と違うから」なのだ。デビュー作が好きな人は、一緒に収録されている「だいじょうぶのあいさつ」が好きに一票。

 

 ぜひ読んでください!オススメです!とは今は書けない。現在の不安定な生活の中で、繊細な人が読むとけっこう精神的にくる話だと思う。ごめんまとまらない終わり。

 

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