耳のないパンを焼く41の方法。

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ホテルのエレベーターに清掃スタッフ(老女)が無言で乗ってきた。

ときどきホテルに宿泊したりデイユース利用したりしている。わたしが宿泊する価格帯のホテルの清掃スタッフはほぼ外国人である。清掃スタッフと宿泊客がすれ違うときは会釈したり挨拶したりするのが通例だ。彼らは宿泊客とエレベーターに同乗しない。エレベーター前で鉢合わせしたら、客を乗せて自分たちは乗らない。多分そういう決まりになってるんだと思う。でもさ、ほへぇ、別にいいのに、と思っていた。

別にいいのに、と思っていたのだが、いざエレベーターに乗り込んでくる清掃スタッフが現れたとき、微妙に動揺した。腰が90度くらい曲がっていて顔が見えなかったのだけど、彼女は多分老年期の日本人女性。片手にはゴミ(プラ系の軽いやつ)が入った袋を持って、わたしが乗っていたエレベーターにサッと無言で入ってきた。彼女はわたしを見ることも、ことばを発することもなく、スタッフルームがあると思しき2階でサッと降りて行った。その素早さたるや「え?忍び?」とよぎるくらいだったんだけど、たぶん違う。動作が機敏というのではなくて、結構なご老体が電車に乗り込んであいている席を確保するときに発揮する速さってあるじゃないですか。アレでした。

彼女の正確な年齢など分からないけども、かなり腰が曲がった状態でホテルの清掃スタッフとして働き、客とことばを交わすこともなく、顔を見ることもなく、無言で過ごすに至った人生を想像して胸がモヤっとした。彼女が他のスタッフと談笑する姿もどうしても思い浮かべられない。これはわたしが勝手に感じ取ったことだけど、本来は推奨されていない(かもしれない)宿泊客とのエレベーター同乗に罪悪感みたいのを持っているが故そそくさと忍びのようにふるまって去っていったのだとしたら(全部推測)、なんだよ人生の終わりのほうって悲しいじゃないか!もっと堂々と生きようよ!

せめて、せめてエレベーターで「こんにちは」くらいのやりとりがあれば、老年期を清掃スタッフとして過ごす彼女のライフをもう少し明るい気持ちでとらえられたのに。しらんけど。

という話を友人に漏らしたら、インスタで炎上したというこんな話を教えてくれた。

腰が曲がった老人が営むパン屋(?)のフィード投稿に外国人から「老人をこんなに働かせるとは何事だ」と物言いが相次いだらしい。コメントをつけた方の国々では「老人は敬われ、労働から離れてゆとりのある暮らしをすべきである」的なコモンセンスがあるようだ(該当事案がググっても見つからず。雰囲気で察してください)。

それは日本にもあるでしょうよ。みんな道徳心くらい持ってる。医療費1割、交通機関のシルバーパス、わたし達には回ってこないだろう年金給付もある。そしてまた非課税所得者に振りまかれる社会保障という名のカネー。それらの制度から、不幸にも零れ落ちてしまう貧しい老人がいるのも事実だけど、さすがにパン屋で強制的に働かせてインスタに写真あげるほどわたしたちは鬼畜ではない。

あとねぇ、一部全く敬いたい気持ちになれない粗暴な振る舞いの老人もいる。ジャパニーズ・老害っていう。

いやいや、そのインスタの老人は好きでお店をやってるよね?というのが友人とわたしの見解だった。こちらが僕ら日本人のコモンセンスと言えるんじゃないだろうか。アカウントの管理を誰がやっているのか分からないけど「老いても現役」「労働こそエナジー」「看板娘おばあちゃんが作るハートウォーミングなパン」「親子3世代で通う近所の客とのステキなリレーションシップ」みたいな肯定的なメッセージとして発信されていたと思われ。

そう。腰が115度くらい曲がっても自営で元気に働き、人々に老いの希望的側面を見せてくれる老人がいる。そしてホテルにて人と目を合わせることもなく無言の清掃作業、つまり「賃金」を得るための労働せざるをえない(だろう)老人がいる。

どちらが幸せで、どちらかが不幸せとかわたしが決めることではないんだけど、なんだろう。「老い方」と「どんな生活をしているか」ってオーラとして人に影響をむんむん与えるよなって思った。

その後、なぜホテル清掃のおばあちゃんに対してここまで悲しい気持ちになるのだろう?と再び考えた。そして仕事云々ではなく「挨拶のできない老人」が哀れで、イヤなんだと思った。人として挨拶くらいすればいいじゃん。でも、もし彼女が挨拶をする程度のこころの余裕さえ持てない、ハードな日々を過ごしているのだとしたら。やっぱ胸がギュッとなるやい。

日常から逃げたくてホテルに宿泊するのに、ときとしてなかなかな現実を突きつけられるのだ。