耳のないパンを焼く41の方法。

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大浴場はデンジャラス。ビジホのバスタブに見る美学。

山名は風呂がキライです。日々の入浴はただの義務。長風呂は拷問。温泉や銭湯といった大浴場の類は本当にイヤです。なんで大浴場は特にイヤなのか考えてみました。日本の場合共同浴場に入るときは概ね裸です。こちとら完全丸腰なわけです。風呂には正規の出入口以外に外に出る方法が基本的にはありません。なに当たり前のこといってるの?と思われるかもしれませんが、それこそ大問題なのです。考えてご覧?裸で風呂に入っているとき唯一のドアから敵が入ってきたらどうするの?
突然浴場に天敵が押し入ってきたら逃げるすべがありません。あなたは素っ裸です。戦う武器もありません。見ず知らずの人ばかりで誰が敵で誰が味方なのかもわかりません。例え今は浴場にひとりでもいつ誰が入ってくるか分からないのだから常に警戒心マックスでいなければいけません。そんな状態でどうやってリラックスできるのか。どうして人々はそんな緊張感張り詰める場所に好んで集うのでしょうか。理解ができません。それで思いついたわけです。わたしのように生命の危機を感じながら温泉に入る人間の方がマイノリティである、と。どうせわたしはアレな人なんですよあーあーあー。ともかくわたしにとって、大浴場など自ら裸になって袋小路に飛び込む自殺行為なのです。先日温泉のあるビジホにホテルステイ()したんですけどね。大浴場より部屋にある小さなバスタブで体育座りしてるほうが落ち着きました。浴槽のミニマリズム。ビジホの風呂はコンパクトの極み。美学さえ感じました。