耳のないパンを焼く41の方法。

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すき焼き・すき煮と年越し蕎麦。

2021年大晦日の甘やかさない。

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すき煮/紅白なます/ピーマンのおかか和え/りんご

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年越しそば/おにぎり

 

すき焼きと言ったら、お麩です。甘辛い割り下を吸ったお麩が大好物です。しかしながら、通常サイズの袋で買うお麩は多すぎるのですよね。なので少量サイズ、今半のお高めのを買ってみました。安いお麩のが好きかもしれません。舌を肥やすな、メシがまずくなる(byひろゆき)。

おにぎりに梅干し乗せるのはインスタでよく見るやってみたかったヤツ。

 

令和4年元旦(2022年)。

明けましたね?

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名ばかりのおせち料理

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たつくり盛るの忘れた。だし巻き卵作るのも忘れた。本当に切って盛っただけだ。緑のピッカリ君は、あしらい代わりにもなる万能選手です。

今年は、
・4月 NLPマスタープラクティショナー修了(仮)
宣言できるのは、それくらいでしょうか。あと、
・ひとりで旅に出る(仮)
かな。多分、お金はもっと手に入る。根拠はないが確信はある。敢えて理由を述べるなら、わたしは牡牛座だから。

昨年はどうだったでしょう。
NLPラクティショナーを修了
・カウンセリング・コーチングサービス開始
・サンキュ!STYLEでは子育て記事メインにシフト
・記名絵本が世に出た、はず(残念ながら現物が手元にない)
・ポータブルスピーカーをゲット
・いろんな意味で金銭的に得たものも増えた
・様々な出会いがあり、たくさんの人といっぱい話をしたような

そして年末に引き出しの整理をしていたら、グルメ券が発掘されて嬉しかったです。

人生は地続き。しばらくは粛々と進みます。ここを見てくださるレアな方、いつもありがとうございます。

山名

ひとりおうちごはん、地球のモブキャラわたし。

本日の甘やかさない
ある日の夜ごはん

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お刺身・アボカドと生ハムのサラダ・温やっこ・お味噌汁
おうちで自由な食事をとる時間があり、自分のためだけに作りました。サラダはデリで買ってきたもの、お刺身もお皿に移しただけですが、すこぶる面倒で・食べる前に・疲れた。
考えて切って加熱して盛り付けて洗って……(エンドレス)。うわぁああ!


モブキャラ、意志を持って生きる

人類が誕生してからいつか滅びるまで、長い長いスパンで考えると、わたし達ひとりひとりの存在はとても小さいものです。恐れず言うなら、わたしひとりがいなくても世界は滞りなく、当たり前に回っていくでしょう。地球、あるいは宇宙における歴史の一部として生まれ、成長し、老いて、死んでいく。それは抗いようのない、自然なことです。全ては自然。風に、水に乗って、見えない目的地へ流れるだけ。最近は、そう感じたりすることがあります。

同時に、人ってとてもパワフルな存在だとも思っていて。「宇宙の歴史」のある一点を、ひたすらズーム・インしていって、「ひとりの人間の歴史」というフレームでものごとを見たとき。その人の可能性とか意思とかが持つ、自身の人生や日々に与える影響力って、計り知れないものだな、と。

歴史の教科書に載らない「農民1」が、サバイバルゲーム地球の「モブキャラ1」が、考えを持って意欲を持って、生きてはいけないルールなんてあるのでしょうか。
わたし達各々の存在は、地球や宇宙の歴史にほぼ無関係かもしれない。それならば、人に多大な迷惑がかからない程度に好き勝手にやらせてもらおうぜ。
地球のモブキャラ山名は、自由に楽しんでこのクレイジーワールドをかけずり回る所存です。ひゃっふぅ!
「意志を持って、流れていく」、人間ってそんな存在なのかもしれませんね。

年の区切りは作られたものに過ぎないと、わたしは思います。ものごとを始めたり、方向を転換したりするタイミングに、決まりはありません。好きにしたらよろし。明日からと言わず今日からでも、2週間後・3週間後からでも、いつでも構わないので、始めてください。今年の目標としてたけど達成できなかったことは、悔いたり恥じたりせず「リスケ」とか「見直し」とか言って、しれっと期日を延ばしときましょう。

おせち料理が届きます。また切って盛り付けて洗うのか……。年末年始はむしろ忙しくなるエンドレス家事。主婦のみなさん、ほんとお疲れ様です。ドンマイわたし達。

来年も良い年であると、わたしは知っています。

 

どんな自分にも平等に。ドーナツはもう少し大きくなりませんか。

本日の甘やかし
ミスド
オールドファッションハニー

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クリスマス前の写真だな……。

ミスドはどんどん高く、小さくなってない?気のせい?

 

自分自身に中庸であること

よく「オンオフを切り替える」みたくいいますが、それってなんか違うように思います。アクセル全開の車のブレーキを急に強く踏んでも、心地の良い停車にはならないように、人生オンでオンでオンできて、突然オフとか、あるいは逆に急発進とか。ムリがありませんか。

コケるぞ。

ましてや、それを繰り返すなんて。
おおこわい。

感情に揺さぶられる自分が、好きではありません。ふと湧き上がる不安・怒り、悲しみ。そういうのが出てくると、内なる瞼を固く閉じてしまいます。うろたえる自分を、見たくないのです。

感情的になる・冷静さを欠いた自分が、好きくない。わたしの中にある気持ちです。共感してくださいますか。

感情に揺さぶられてはいけない。もっと言えば、悪い感情は抱いてはいけない。思えば思うほど、囚われていきます。

冷静であれ。理性的であれ。それはやがて曲解され、負の感情を人に見せてはいけない。ぐちゃぐちゃの本心を、読まれてはいけない。というナゾの信念となり、それを握りしめたまま、今年の最後の方を過ごしてきちゃった感が、実はあるのです。


もちろん100%こころに蓋をできる訳なんかなく。そして喜怒哀楽、特に怒哀がひょっこりするたびに、また感情コントロールができなかったなと、大人気ないなと、自己嫌悪に陥いる。

感情のコントロール問題。ああ、共感してくださいますか。わたしには見えますよ、あなたが首がもげるほどぶんぶんしている姿が。

だからといって、こころの表情筋が死んだ冷徹な自分になりたいのでもありません。


感情が暴れるのも、理性でこころが冷めるのも、人間ですから仕方ありません。大切なのはどちらかに偏ったとき「なるはやで中庸の自分に戻る力」ではないでしょうか。

感情と理性のシーソーです。怒ってる自分に気づいたら、真ん中に戻る。スンって自分が見えたら、真ん中に戻る。

どんな自分がいても構わない。中庸の立場に、素早く戻るスピードを上げたいものです。


こころは「オンかオフか」ではありません。シーソーの右左。フットワーク軽く動けるよう、程よくアイドリングしておきましょう。


自分に平等であれるのは、多分自分だけです。感情的な自分。理性的な自分。どちらの話も、聴いてあげてください。ジャッジは要りません。ただ真ん中で、見守りましょう。

わたしのことも、ぬくたい目で見てください。

 

「どんな自分にも平等である」、その信念があれば、感情を表現することが今より上手になるかもしれませんよ、わたし?ドンマイ。

自分にクリスマスプレゼントは来ましたか?プレゼントがあった方もそうでない方も、元旦には、お年玉をもらってくださいね。子どもだけなんてズルい。
平等平等。

バームクーヘンケーキと優しさのマウント。能動と受動のバランス。

本日の甘やかし

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バームクーヘンをデコってみました。クリスマスケーキの代打です。
本当は中央の空洞に、果物やお菓子を詰めます。上の写真の時点では空です。バームクーヘンの穴はホームパイで塞いでから、生クリームを乗せました。
生クリームは8分立てくらい。

夕食時は小さくなって再登場。

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優しさのマウント、能動と受動のバランス


夫の在宅勤務が始まって、約2年。「そろそろお昼ごはん作るのキツいっす」って夫に言いましたらば「別に頼んでもいないし、やらなくてもいいこと。いちいちそんなこと言わなくてもいい」みたいな風に返ってきました。(わたしにはそんなニュアンスに聞こえた。)

彼は、作ってくれるのが当然とは思ってないし、気にかけること自体しなくていいよって意味で、言ってくれたのです。少し考えれば分かります。そしてその時のわたしは、頼まれてもいないし、やらなくていいことを2年間毎日気にかけてきたんだと感じて、へにゃへにゃっとこころが無脊椎動物化してしまいました。

ということを、友だちに漏らしましたら「美穂ちゃんは夫さんのごはんを気づかって、夫さんは美穂ちゃんの家事負担を気づかって、優しさのマウント取り合っちゃったんだね」と、返ってきました。

優しさのマウント

言い得て妙です。


思いやことば。適切な表現をしないと、真逆に伝わりうる。コミュニケーションの取り方って大事よねと、改めて思ったできごとでした。その後、夫と話をしてクリアになってますのでお気遣いなく?


子どもの成長と気まぐれネコなんかとの関係もあり、主婦としての稼働時間が、長くなってきました(朝→早く、夜→遅く)。家族に振り回されること。それはとても幸福なことだけども、彼らの変化にアダプトするだけでは、わたしという「形」がぐちゃぐちゃになっちゃうっていうか。

パンをむりくりカバンにいれて潰すようなことも、じゃがいも詰め放題だからとビニール袋を引き伸ばすようなことも、したくありません。

今のわたしが、ここちよく収まれるスペースを、もっともっと自分で作っていくことにします。

家族みんなが気持ちよく。そのためには、全員がより自立した存在であるように。山名家はそんなフェーズにいると思います。


自分ががんばることで、風向きを変えてきた今年。来年は、よりリラックスして。

人は永遠に不完全な生き物です。もちろん、わたしもそう。自分は至らない、助けを必要とする小さな存在だと認識して、相手に委ねる・任せる・助けてもらう。そんな謙虚さも、大切ですね。

優しさのマウントは、取ってもらった方がいいこともある。


堂々としていること、そして謙虚であること。ふたつは対極ではないから両立するはずです。能動と受動はバランスよく。ご利用は計画的に。否否。準備の行き届かないところだから、助けがいるわけです。ドンマイわたし。


Merry Christmas & Happy New Year!

エクレア的なものとおかんのごはん、ソフトシェルクラブの存在はミスター味っ子で知りました。

本日の甘やかし

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エクレアみたいなの。

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¥320-くらいだったかな。中にパイ生地も入ってます。

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タイ料理食べてきました。ソフトシェルクラブと卵のカレー炒め的なやつ。


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わたしが作るごはんのお値段


¥3,000-のランチはさんぜんえんの味
¥1,500-のランチはせんごひゃくえんの味
¥1,000-のランチはせんえんの味

ふと、わたしのごはんに値段をつけるならいくらなんだろうと、思いました。


主婦が作るごはん。おうちのごはんは、親子丼は¥600-、生姜焼きは¥900-、ビーフシチューは¥1,500-と、紙幣や硬貨で表現できるものではありません。*プライスレスとかありていな濁しは受け付けない。

そして作ったからいいじゃんとか、食べられるんだからいいじゃんとか、内なる自分の基準だけでプラス査定できるものでも、あんまりないように思います。健康とか満足度とか満腹感とか安心とか。わりに「家族次第」っていう、外的な基準で判断していると、思いませんか。

作り手である自分には、案外評価軸は、委ねられていないような気がして。だから、好きじゃないからとか、気分じゃないからとか、ちょっと出かけてくるとか、ゔぁあー!(離乳食期のちびっ子)とかって理由で食べてもらえないと、あるいは、家族の身長体重体調面、順調に進んでいないように感じると、なんだか自分が用意する食事が否定されるような気持ちに、なってしまいます。


ちゃんと、食べたいもの食べてますか。家族の食事をまるごと手放せなくても、自分のためだけの食を楽しむ時間を一緒に持って欲しいと思います。ごはんに限らず自己犠牲は、結局は自分を否定することにしかならなくて。みんなの幸せから、遠ざかってしまう。

ごはん。一生懸命作っているのだから、絶えず考えてるんだから、多少のクオリティのアレでわたしらの評価や価値が下がることはありません、ですよ。

なんか同じような内容、以前も書いた気もしますね。ドンマイわたし。


ということで甘やかしボルテージが上がらないこの頃。最近は週一で、ひとりでごはんを食べに行くのが、流行ってるわたしです。

寒い冬の日。

レビュー・シャドウサイド#30 佐野徹夜「アオハル・ポイント」

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どうも。レビュー・シャドウサイドです。息子用に置いてあった本を読みました。

佐野徹夜「アオハル・ポイント」。

主人公は空気を読みながら「ふつう」に生活する高1男子。金属バットで頭を殴られた後(←この伏線、今回収した)、人の頭上に数字が見えるようになりました。それはその人の「価値」を数値化したもので、頭がいい人やリア充は高いとか、陰キャは低いとか、そんな感じです。同級生との云々を通してアレコレ悶えたり喜んだりする思春期な小説。「価値の数値化」っていうのは面白いと思いました。いじめやカースト的なもの、恋愛、そして自分。中高生にとってはリアルかもしれません。物語としては流れが速すぎるというか、ほとんどのトピックが深掘りされないまま、登場人物の経験値が上がったことになってるのかあっという間にキャラが変わってしまいます。最初に詳細な設定してある意味。語り口もいささか説明的で、それも話の駆け足感に拍車をかけているような。ひとり果てしなくイヤな同級生がいて、彼はとてもイヤなやつのまま終わります。全てをキレイに終わらせる必要はないですが、それは「余韻」みたいなのとは別物で、ただ後味が悪い。某所で中学生におススメみたいな紹介がされていたけど、本当かな。正直なところものによってはYA本より高学年向けの児童書の方が優れている気がします。司書さんが中高生の活字離れ著しく、転生モノばっかり、それでなくても内容も似たり寄ったりと嘆いていたのはこういうことか。息子に与えているYA本、内容が浅いものばかりになっていないか、ちょっと心配になってきました。中高生向けの本って、こういうものなんでしょうかはて。