本日の甘やかし
ア・ラ・カンパーニュのケーキ&タルト
栗のタルト
チョコレートとイチゴのショートケーキ(正式名称不明)
栗のショートケーキ
3つで¥2,500-くらい
家族で食べました。栗のタルトと栗のショートケーキは、間に挟んであるカシスがアクセント。スイーツも、なにかとこっくりフレーバーになりがちな季節になりましたね。
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子どもの感情を丸ごと引き受けない
不登校ほどシリアスな話でなくとも「学校に行きたくないな」ってときは、多くの子どもにあると思います。
そのとき、子どもの中で
・行きたい
・休みたい
の、葛藤が起こっているそうです。「行きたいvs.休みたい」という戦いが、自分の内側で繰り広げられているわけですね。
そういう場合に、親が
「行きなさい」と言うのは
「行くべきだ」と決めてしまうのは
子どもの葛藤の片方「行く」のみ、丸ごと引き受けることを意味します。
「行く」感情だけを親が請け負うと、子どもには「行きたくない/休む」気持ちだけが残ります。
その結果、子どもの中で
・行く=親
・行かない/休む=自分
という感情の役割分担ができる。
自身の中にあったはずの葛藤が「親 vs.自分」という親子の対立になってしまう。
行きたくない自分に対して、行けと言ってくる親は「自分を理解しない相手/敵/イヤな存在」になります。
親との対立関係。それが子どもを追い詰め、親子の信頼関係が崩れることに繋がるのは、想像に易いですね。
親は、「行きたい・休みたい、どちらの気持ちも分かるよ」と、両方に共感することが大切で。
学校に行ったなら「がんばったね」って、笑顔で迎えてあげるのが必要。
親が行かせることに一生懸命になりすぎて、疲れてしまって、子どもが帰ってきたときに、黙ってたり不機嫌でいるのは避けたいです。そういう母親を見ると、子どもは「お母さんは、自分のことがキライなんだ」と思ってしまう。
学校に行かされて、帰ってきたら不機嫌にされたら、そりゃイヤだよね。
そんな話を、その筋のプロから聴きました。わたしの持論ではないので、安心して読んでください。
そして、行こうか・休もうか判断しかねている子どもに
・できるなら行った方がいいよね
・お休みするにも、勉強はしておこうね
・授業の時間帯は、ゲームやテレビは無しだよねそういった話は、していいそうです。
(イヤな話に聞こえるかもしれないけど)
・今、できるはずの勉強をしないこと
・同年代と接する経験をしないこと
は、現実問題、将来不利に働く(ことがほとんどだ)し、自分の選択肢を狭めることになると伝えていくのも、親の役目だったりするんだね。
逆も然りで。「行かなくていい」と親が決めてしまうのも子どもの「考える/判断の機会」、そして「責任の負い方を学ぶチャンス」を奪うことになるのでしょう。
子どものこころが本当に疲弊してしまって、明らかに休息やケアが必要な場合にはフィットしない話ですが、子どもの葛藤の片方だけを、まるっと引き受けて「親 vs.子ども」の敵対関係を作らない。子どもが考える・判断する・結果から学ぶ成長のチャンスを、大切にする。いつでも味方でいる。
保護者として、責任を持って子どもをケア・ガイドすること
人として、子どもを信頼し、尊重して任せること
両方やる、お母さん大変。
親も日々、トライアル・アンド・エラーの連続。必要なバランスだって、一瞬一瞬変わっていくもの。上手くいかないことがあっても、バシッとかっこよく決まらなくても、ドンマイ、わたしたち。