耳のないパンを焼く41の方法。

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行くか休むか子どもの葛藤、どれを食べるかわたしの葛藤。

本日の甘やかし

ア・ラ・カンパーニュのケーキ&タルト

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栗のタルト

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チョコレートとイチゴのショートケーキ(正式名称不明)

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栗のショートケーキ

 

3つで¥2,500-くらい

家族で食べました。栗のタルトと栗のショートケーキは、間に挟んであるカシスがアクセント。スイーツも、なにかとこっくりフレーバーになりがちな季節になりましたね。


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子どもの感情を丸ごと引き受けない


不登校ほどシリアスな話でなくとも「学校に行きたくないな」ってときは、多くの子どもにあると思います。
そのとき、子どもの中で
・行きたい
・休みたい
の、葛藤が起こっているそうです。「行きたいvs.休みたい」という戦いが、自分の内側で繰り広げられているわけですね。

そういう場合に、親が
「行きなさい」と言うのは
「行くべきだ」と決めてしまうのは
子どもの葛藤の片方「行く」のみ、丸ごと引き受けることを意味します。

「行く」感情だけを親が請け負うと、子どもには「行きたくない/休む」気持ちだけが残ります。

その結果、子どもの中で
・行く=親
・行かない/休む=自分
という感情の役割分担ができる。
自身の中にあったはずの葛藤が「親 vs.自分」という親子の対立になってしまう。
行きたくない自分に対して、行けと言ってくる親は「自分を理解しない相手/敵/イヤな存在」になります。

親との対立関係。それが子どもを追い詰め、親子の信頼関係が崩れることに繋がるのは、想像に易いですね。

親は、「行きたい・休みたい、どちらの気持ちも分かるよ」と、両方に共感することが大切で。
学校に行ったなら「がんばったね」って、笑顔で迎えてあげるのが必要。

親が行かせることに一生懸命になりすぎて、疲れてしまって、子どもが帰ってきたときに、黙ってたり不機嫌でいるのは避けたいです。そういう母親を見ると、子どもは「お母さんは、自分のことがキライなんだ」と思ってしまう。

学校に行かされて、帰ってきたら不機嫌にされたら、そりゃイヤだよね。

そんな話を、その筋のプロから聴きました。わたしの持論ではないので、安心して読んでください。


そして、行こうか・休もうか判断しかねている子どもに
・できるなら行った方がいいよね
・お休みするにも、勉強はしておこうね
・授業の時間帯は、ゲームやテレビは無しだよねそういった話は、していいそうです。
(イヤな話に聞こえるかもしれないけど)
・今、できるはずの勉強をしないこと
・同年代と接する経験をしないこと
は、現実問題、将来不利に働く(ことがほとんどだ)し、自分の選択肢を狭めることになると伝えていくのも、親の役目だったりするんだね。

逆も然りで。「行かなくていい」と親が決めてしまうのも子どもの「考える/判断の機会」、そして「責任の負い方を学ぶチャンス」を奪うことになるのでしょう。


子どものこころが本当に疲弊してしまって、明らかに休息やケアが必要な場合にはフィットしない話ですが、子どもの葛藤の片方だけを、まるっと引き受けて「親 vs.子ども」の敵対関係を作らない。子どもが考える・判断する・結果から学ぶ成長のチャンスを、大切にする。いつでも味方でいる。

保護者として、責任を持って子どもをケア・ガイドすること
人として、子どもを信頼し、尊重して任せること

両方やる、お母さん大変。

親も日々、トライアル・アンド・エラーの連続。必要なバランスだって、一瞬一瞬変わっていくもの。上手くいかないことがあっても、バシッとかっこよく決まらなくても、ドンマイ、わたしたち。

レビュー・シャドウサイド#29アレン・カー「禁煙セラピー」

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本日の甘やかさない

・カボチャとソーセージのキッシュ風

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アメリカンドッグ

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を作りました。

キッシュ風はグラタン皿にバター塗って、薄く切った(8枚切り食パンとかでも良いかと)パンを敷き詰めて、レンジで加熱しておいたかぼちゃと、小さく切ったソーセージと赤パプリカ少々。卵と牛乳を混ぜたのを流し込んでこしょう少し、シュレッドチーズを乗せ、180度に予熱したオーブンで30分くらいのノリで。後は主婦の勘と雰囲気でどうぞ。
一緒にほうれん草ベーコンバージョンも作りました。有塩バター、ソーセージ、チーズを使っているので塩はなし。コンソメ顆粒とか入れてもいいのかも知れないけど、わたしはこれくらいの塩気でよいです。


アメリカンドッグの衣は、白ごはん.comのレシピ。白ごはん.comでは魚肉ソーセージで作ってます。わたしは棒付きのフランクフルトソーセージで。衣、ゆるいので均等につきませんが、とてもおいしいです。残ったものは揚げドーナツ。ご家族にも好評。

 

レビュー・シャドウサイド#29
アレン・カー「禁煙セラピー」

NLPの講座で本を使うんで入手。タバコ吸わないけど読みました。詳しくはまだ分析できないんですけど、「催眠言語」という効果的な言語の使い方がされてて、諸々恐れずに言えば

・タバコがないと生きられないという洗脳から

・タバコは恐ろしい麻薬でヤバいという洗脳へ

書き換えるというか。ピュアな気持ちで読めば、そこそこの確率で禁煙に成功するような気がします。疑ってかかってはダメです。

喫煙者は、お金を払って煙を吸ってタールという毒物を自ら肺に入れて、健康を害しているのを知ってて、やめられないと思っている中毒者だよね。みたいなことがグルグル書いてあって。たしかにお金がかかるのも、体に良くないのも、スモーカー自身が知っている事実で。もし上のように言われて腹を立てる人がいたら、痛いところを突かれて、反論ができなくてキレだしたなと判断されても、仕方ないかなと。

これは喫煙者が自分の意志で読まないと、効果は薄くて、ムリヤリ誰かに読ませてもあんまり機能しないと思いました。辞めたい人、読む価値はあるのでは。コレを読んでる人のどれだけが喫煙者で、その中のどれだけの人が辞めたいのか、分からんけど。

文そのものの分析は、おいおい。


#子育て
#チャイルドコーチングアドバイザー
#コーチン
#カウンセリング
#NLP
#子育ての悩み
#子育て相談

ボツ文章「お母さん、わかったよ」はこちらです。

某賞に応募した超ショートショートがかすりもしなかったようなのでここに置いておきます。もともと絵本向けに書いた文章。2000字ほど。すぐに読めます。

 

タイトル「お母さん、わかったよ」

「ねぇ、お母さん。どうして、ほかの子の使っているものを、とってはいけないの?」ひなちゃんは、お茶をのんでいるお母さんに聞きました。
「どうしてだと思う?」
と、お母さん。
「お母さんにおこられるから」
「お母さんにおこられるから、か」
お母さんは、ふふふと笑いました。

ひなちゃんは、台所に立っているお母さんに言いました。
「お母さん。どうして、ほかの子のものをとってはいけないか、わかったよ」
「わかったの」
と、お母さん。
「先生におこられるから」
「先生におこられたの?」
「あきちゃんの、赤のおり紙をだまって使ったら、『人のものをとってはいけません』って先生におこられたの」
「先生に、おこられたのか」

ひなちゃんは、テーブルで豆のすじを取っているお母さんに言いました。
「お母さん、どうして他の子のものをとってはいけないか、本当にわかったよ」
「わかったの」
と、お母さん。
「お外であそんでいたとき、たっくんのボールをとっちゃったの」
「とっちゃったの」
「きいろくて、やわらかくて、ぽんぽんはずむから、使いたくなっちゃったの」
「先生におこられた?」
ひなちゃんは、くびをよこにふりました。
「そのとき、先生はいなかった」
「だれかにおこられた?」
「だれにもおこられなかった。でもね……。たっくんが、泣いてしまったの」
「泣いてしまったの」
鼻がつんとして、顔があつくなって、おくからなにかがあふれ出てきます。
「とても、悲しそうに、ぽろぽろ、なみだを出して、いっぱい、泣いたの」
「悲しそうに、ぽろぽろ、いっぱい」
お母さんの声は、いつもよりゆっくりで、小さい。
「人のものを、だまってとってはいけないのは、悲しいから。ひなは、悲しい顔を見たくない」
「悲しい顔は、見たくないね」
お母さんは、くちびるのはしっこを上げて、ちょっとだけわらいました。ひなちゃんは、『どうしてわらうんだろう』と思いながら、あたたかいものでゆらゆらする目で、テーブルの上にふえていく豆のすじを見ていました。

アイロンをかけているお母さんに聞きました。
「ねえ、お母さん。どうして『ごめんなさい』って言わなくちゃいけないの?」
「どうしてだと思う?」
顔をのぞきこんでくるお母さんを、ひなちゃんは見られません。

タオルをもってきたお母さんに言いました。
「ねぇ、お母さん。たっくんに『ボールとってごめんね』って言ったよ」
「言ったの」
「『いいよ』って言ってくれた」
ひなちゃんは、また笑われるんじゃないかと思って、うつむきました。雨にぬれたくつした。
「でもね、なんだか足りないの」
「足りないの?」
お母さんは、笑いません。

ひなちゃんは台所にかけこんで、お母さんのエプロンのすそをひっぱりました。
「お母さん、今日ね、たっくんに『ボールをかして』と言ったよ」
「悲しい顔は、見たくないものね」
「そしたら、たっくんが『いっしょにあそぼう』って、言ってくれたの」
「へぇ!」
お母さんの声が、ボールみたいにはずみます。
「だからね、ひなは『ありがとう』って言ったの」
ひなちゃんの声も、ぽん、とはずみます。
「『ありがとう』って!すごい!」
目をまん丸にしたお母さんに、ひなちゃんは言いました。
「ねぇ、お母さん。どうして、人のものをとってはいけないか、本当にわかったよ」
「ひなちゃんは、すごいねぇ」
「明日、あきちゃんに『いっしょにおり紙であそぼう』って、言うんだ」
「いっしょに、あそぶんだ」
「そう」
今日のひなちゃんは、明るく笑うお母さんを、まっすぐに見られます。
「おともだちに、なるの!」

ひなちゃんのかおは、ふくふく、ぽかぽか、おひさまみたい。

 

著作権について

プライバシーポリシー - 耳のないパンを焼く41の方法。

から一部抜粋

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旧バージョンの自分に優しく、タルトはおいしく。

・2024年1月改編

本日の甘やかし。ア・ラ・カンパーニュ イチゴのタルト

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商品名不明です。いつぞやのブドウのタルトと共に、買われてきたやつですね。


「過去バージョンの自分に優しくして。あなたは当時持っていた知識と意識で、できる限りのベストを尽くしていました」
        by Shelle Rose Charvet
        (Facebookより引用)

NLPで学ぶLABプロファイルの先生のことばです。
NLPの前提に「人は、持てる限りのリソースを使って最善を尽くしている」というのがあります。

ざっくり言うと、人は常に自分が持てるものをすべて使って、最良の選択をしながら一生懸命生きてるよねーって感じの話です(ざっくりすぎて…)。

最善を尽くした結果が、世間的にはよろしくないものだったとしても、そのときの自分には、それがベストだったわけで。そしてネガティブに見える行動にも、肯定的な意味が必ず存在すると、NLPでは考えるのです。

「もう!なんで離乳食食べてくれないの⁈」
と、子どもに怒ってしまった。
子どもは泣くし、自分は虚しいし、食卓の雰囲気は悪くなるし……。楽しくない出来事ですね。
でもそれって、離乳食を作り、食事の場を整え、根気強く与え、食べて欲しいと願い、そして強く伝えた。そのときの自分にできる精いっぱいのことを、やったってことですよね。

がんばったじゃないですか。精いっぱいやったのです。偉いですよ。そして、この場合にとった行動「怒る」には、きっと「子どもの健康」という前向きな意図があるはずです。


子育てしてると、自分の言動に落ち込むことも
あると思うんですけど、常に一生懸命最善を尽くしてやってるわけですから、そこは自信持ってください。
みなさんは素晴らしい人間で、子どもを愛するステキなお母さんです。見直すべきは「怒る」などの行動と、それによってできてしまった「暗い雰囲気の食卓」という環境です。

怒っちゃったからといって、育児の能力がないわけでも、母親失格でも、ダメな人間でもありません。んなわけ、あるかい。

 

育児でもなんでも、昨日の自分はやらかしたなとか、今までのやり方は間違ってたのかなとか
感じたら、ぜひShelleのメッセージを思い出してください。

「過去バージョンの自分に優しくして。あなたは当時持っていた知識と意識で、できる限りのベストを尽くしていました」
"Be kind to past version of yourself.You were doing the best you could with the knowledge and awareness you had at that time".

自分に優しく!胃に甘く!どんまい!

想像できないものは創造できないブルトンヌ。

本日の甘やかし
ガレット・ブルトン

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ケーキ屋さんで。

フィナンシェやガレットを見つけると、つい
買いたくなる。

焼き菓子は、バターとアーモンドプードルで決まる
ような気がする。



想像できないものは、創造できない

勉強したことを振り返っていたら目標を書いた
ノートが出てきました。
おおお、存在を忘れてた。

そして、そこに書いたいくつかのことが
達成できていることを知る。

描いたのとまったく同じ道すじをたどったのではなく
また、手に入れるものも微妙に違ったりするんだけど
「あれ?できたやん」
ってことが、ありました。

具体的には
・〇月、ライティングの仕事無事だん
・預金〇〇円
などです。

「自分はこうある!」というアファメーション
(自己宣言)とは異なり、ゴールを決めて
それを達成したことが
「どのようにして分かるか」
を書いたものです。

その際、「五感」を使った表現をします。

ライティングの仕事であれば
・〇月にお金が振り込まれているのを確認する(視覚)
・〇〇さんに報告している声(聴覚)
・記名作品を受け取る(触覚)

預金であれば
・目標額が記載された通帳を見る(視覚)
・家族に伝える、自分の声(聴覚)
・通帳の紙の質感に触れている(触覚)

といった感じ。

「目標を達成したときを、全身で味わう」みたく
いうんだけど
ピンとこないだろうから、「全力で妄想する」くらいの
雰囲気でいいのかもしれない。

ライティングの場合、紙媒体としては手に
入りませんでしたが、
PDFファイルで、記名作品を見ることができました。

お金は、みなさんの一番の関心ごとでしょう。
そして内緒です。

書いたものと全く同じではないので「できてない」のか
多少形は違えど「できた」のか
捉え方の違いなら
できたと考えるほうが、いいよね。

設定した日時まで、あともう少しの目標があります。
どうなるかな。
楽しみ。


想像できないものは、創造できない

このフレーズが、結構好きだったりします。
なにかしたいなって浮かんだら
このことばを思い出して
思う存分、味わうことにしています。


レビュー・シャドウサイド#28 小木曽健「大人を黙らせるインターネットの歩き方」

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 どうもー。書籍レビューです。小木曽健「大人を黙らせるインターネットの歩き方」。

 スマホの使い過ぎで学力が落ちるとかSNSは危険とかうるさい大人を「論破」する学生向けの本です。2017年の本で2021年の今のインターネットやSNSとは一致しない点もあるけど(それだけ猛スピードでネットのあり方は変わっているってことだよね)、大人も読むに値するんじゃないかと思います。

・問題を生むのは道具であるネットやスマホではなく、使用する人間である
・ネットは怖いから使わない=車は怖いから免許は取らない、くらいに意味が通らない
スマホの使用が悪いのではなく、それによって生活に支障がでているかが本当の問題(飲酒が悪いのではなく、依存症になってないかとかが問題みたいな感じ)
SNSでやらかす人はリアルでもやらかす
・玄関に貼りだせないものはインターネットに書かない
なるほどごもっともですがわたしはブログの内容を玄関に貼れと言われたらイヤです。
確かに数年前までは「ネットで出会った人とはリアルで会わない」のが定説でしたが、今や通じません。信頼できるルートを通してとはいえサンキュ!STYLEライター中には実際にお会いしたことがない方もいるし、NLPスクールの同期の方ともオンラインでしか交流が今はできません。そして残念ながら揉める相手はオン・オフライン両方で発生しうります確かに。この先またすごいスピードでスマホやネット事情は変わると思います。結局はどんどん使うしかないでしょう。一方で誹謗中傷や怒りの矛先を知らない人に刀のように振り回すこころないコメントは早く法整備がされて下火になるといいなと思います。新しいものが目まぐるしく出てくるからその法整備が難しいんだよな……。
タブレットがあれば概ねなんでもできる時代になりました。それはよいのです。息子はブラインドタッチができません。同じようなお子さんは少なからずいるようです。彼らはレポートみたいな課題を一体どうやってこなしているのでしょうか。パワポが使えるのにキーボードは使いこなせない。不便でないのかデジタル移民にとってはいささか疑問であります。いずれタイピングができなくてレポートが書ける時代がくるのでしょうか。時代は常に過渡期。
親子で一読してよい本だと思います。

さくらんぼゼリーとヴォルテール。

本日の甘やかし
銀座千疋屋 銀座ゼリー さくらん

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さくらんぼがおいしい

 

千疋屋って、日本橋千疋屋京橋千疋屋銀座千疋屋

3つあるんですね…

知らなかった。

 


元々日本橋千疋屋から、暖簾分けされたのが京橋・銀座のようです。

なる。

 

 

 

人は誰でも、人生が自分に配ったカードはただ受け入れなければいけない

しかし一旦カードが配られたなら、どのようにそれを使って勝機をつかむかは、自分自身にかかっている


ヴォルテール フランスの思想家


好きな名言です。


勝機というとかたい印象だけど、カードゲームは「プレイ」するもの。

楽しんで遊ぶことも「勝つ」ってことなんじゃないかと、わたしは思います。


配られたカードが「2」や「3」ばかりだったとして。

どうやってゲームをする?


エースを持っている人を羨んだり妬んだり

エースが回ってくるのを漠然と待っていたり

それではちっともおもしろくないわけで。

 


順位の低いカードだけでは、世間的な大勝はムリかもしれない。

でも「楽しむ」ためなら、自分ができることがあるはず。

 


楽しんで

負けても

笑って

周りの人も笑ってくれたら

ロイヤルストレートフラッシュで独り勝ちするより

意味があるゲームになるかもしれない


わたしだったら「2と3しかない!ババ抜きにしようよ!」と言うかも。笑

 

 

「負けたくない」の本当の意味は

イヤな思いをしたくない

恥をかきたくない

だったりする。

そしてそれは

楽しめればやる

という意味でもある。

 

楽しめれば、負けてもいいわけだ。
楽しかった!と気持ちよく終える方法は

カードゲームに「勝つ」だけではないはずです。


楽しみ方の選択肢を、いくつ持ってますか。

選択肢の増やし方、分からないかもしれません。
やり方は、わたしがガイドします。
まずは、あなたの持っているカードを見せて
今の気持ちを聴かせてください。

 

山名美穂