耳のないパンを焼く41の方法。

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「一人で死んで」の真意。

川崎の殺傷事件で話題になった「一人で死んで」の是非。

「一人で死んで」は、「お前は死んでいい人間だ」という意味じゃない。

 そこに含まれている負の感情は、犯人と無関係な人たちが殺傷された事実に対する怒り。それより大きいのが、罪のない人・幼い子どもたちの命を奪わないでほしいという、祈りみたいなものだと思う。

 

なぜ支援者は「一人で死ね」にわざわざ「お前には価値がない」と間違った意味をつけるのか。なぜ上に書いたような、「命を奪わないで」という人々の気持ちを読み取らないのか。それとも読み取れないのか。

 そんな人が、貧困層や引きこもりたちをどうやって犯罪や自殺から守り、社会にカムバックさせようというのでしょうか。

 

 「消えていい命などない」と伝えるのが、該当者の社会復帰を促す第一歩ではないかな。 周囲に「傷つくから発言を控えて」と頼むのはなんだかおかしい。必要なのは「引きこもり」とされる人たちの自尊心を高めることであって、被害者感情を煽ることではないと思う。