耳のないパンを焼く41の方法。

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幸せとは合理的に生きること。

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周期的にやってくるらしい停滞期。

落ち込みがちでありながら、なぜか好戦的にもなったりするので、われながらめんどうくさい人だなと思う。

最近では普段ひたすらグチを聴いてくれるA先生に、とうとう「山名さん、人生は戦いです。賢く生きてください」なんて言われて「えええ……」ってなりました。「判断基準は山名さん自身が楽しいかどうかです」って「ええええ……」。

前述した通りムダに攻撃モードになってることも気づいているし、ネガティブなエネルギーで進む行為にも多分に疲れていたりもする。

「もうムリゲーです」状態なわけだ。だからこそ先生のところに話を持ってきたんだよ。

それなのに「戦え」と言われても困る。さらに「楽しく」なんて、いかようにしたら実現可能なのでしょうか?

そもそもアホなわたしが「賢く生きる」なんてムリじゃない?

なんて感じで絶望に寄りがちだったんだけど、こんな考えにたどり着いたのできいてもらえますか。

山名は
・体力ない
・音や光に過敏
・わりに気を使う
・白黒はっきりしてないといやだ
などの資質を持って生まれてきました。

言っとくけどコレらに関してわたしは悪くない。生まれながらにして能力には差がある。そしてほとんどは遺伝である。さらに今のわたしに影響しているだろう幼少期のアレコレも、わたしには選べなかったもん。
故に上の文も全く持って「言い訳」ではない。

つまるところ「この世に向いてない仕様」なんですよ。できないことが多いんです。ムリして奮起してやると尋常じゃない疲労のブーメランなんすわ。分かんない人もいると思います。分かる人もいると思います。そう当事者しか感じられないヤツ。

そういうのを自覚すると「みんなと同じようにやりたいけど諦めないといけないこと」とか「悔しいけど自分が引き下がらないとみんな傷つくこと」とかが、ブライトサイド陽キャ系で生まれてきた人たちよりは多いんだろうなって思えてきた。自分の「もっとやりたい」って意欲をどれだけ負けさせられるか?「できるはず」っていう信念をどれだけ曲げることができるか?己との「戦い」なんだよ。

ところで、戦いには戦略が必要ですよね。

生まれつき他人様よりポンコツな「わたし」が持つ少ないリソースを、最大限に活かして戦うには効率よく・合理的に動く必要があります。

合理的に生きる。ザッツ・戦略。

人生というか日々における「ムダ」、例えば
・悶々と悩むこと
・イライラや悲しみを反芻すること
・自身を正当化しようと無意識に情報収集をすること
そういうのを減らせば時間にもこころにも余裕ができて、本当にやりたいことをしたり安寧の時間に当てたりできる。

それが「賢く生きる」ということで、あってますか先生(涙目)。

正直なところ、自称繊細・自称鬱・自称発達障害ムーブメントが好きではありません。
でも「この世に向いてない」タイプの人は一定数います。そういう人にとって、生きることはなかなか「楽」にはなりません。

でも「楽しむ」ことはできるはず。

ハイ希望ゲットー。

で、肝心なのは行動レベルで具体的になにをするかってことで。考えた末に「スマホを(なるべく)遠ざける」ことにしました。遠いところに置いてアップルミュージックのホワイトノイズをポータブルスピーカーで聴いている。

楽しむとは賢く生きること
賢く生きるとは合理的に生きること

そんな感じで、とりあえず落ち着きました。

A先生との会話とセルフコーチングを通して、カウンセリングやコーチングをする立場にいる人間は、相手に厳しく聞こえることも言わなきゃいけないときがあるんだなって。もちろん相手の性質とか相手との関係性とか、加味しないといけないものはたくさんあるんだけど。見極め難しくない?

問題を直視して戦略を練るのは疲れる。
でもやるのが遠回りに見えて近道である。
そんなこんなで、今日も確定申告は後回し。

幸せな人生とは。
合理的に生きることである。

愛用ポータブルスピーカー


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