耳のないパンを焼く41の方法。

40代主婦がより良く生きるためのブログ。アフィリエイト広告を利用しています。

シュトーレンとチャイルドフッド。

本日の甘やかし
f:id:pan_mimi:20211127134529j:image
シュトーレン
1,000-
f:id:pan_mimi:20211127134540j:image

f:id:pan_mimi:20211127134550j:image
クリスマスシーズンですね。

---
untitled

ちびっこの頃のわたしは、ショートカットにパンツスタイルがトレードマークな感じで。年子の兄がおりまして、時代も含めて、彼のおさがりが与えられることも、少なくありませんでした。
本当は、もっと女の子女の子した服を、着たかったのに。かわいいゴムで、長い髪を結いたかったのに許されなかった。
すんすんすん。


(。´・ω・)ん?
本当でしょうか。

事実を探るべく、母にLINEでダイレクト質問。「あのころのわたしは、なぜいつもショートカットだったのか」?返答としては「特にこだわったこともないと思うし強制した記憶もないよ」でした。ハイ母にオーダーされたり、強要されたりした記憶は出てこない。
当時わたし達の世話をしていた、祖母の都合はあったかもしれません。それは祖母に聞かないと、分からないこと。聞いたところで、覚えていない説アリです。
そして果たして本当にずっと、髪飾りひとつつけられないほど短かったのかと問われたら、自分でもはっきりと思い出せません。
事実は闇の中。考えても分からない。Thank you, next!

続けて母に問います。「では、なぜわたしは、ズボンばっかりはいていたのか」?送信ボタンを押して、母からの返信を待たず「いや、そんなことなかったわ」と、自ら訂正メッセージを送りました。
洋裁が得意な祖母は、わたしに服をつくって
くれました。目に浮かぶのは、夏用のワンピース。とても気に入っていたのに、翌年の夏には、わたしの体が成長して(当たり前)着られなくなっていて、とても悲しかったように思い出されます。

祖母はその他、いろんなわたしの服をつくっていた。異性だから、兄のおさがりがくることだってそうそうなかったはず。と、母談。そういわれると、母と買い物に行けばわたしが所望するものを買ってもらえてた。
全部が思い通りでなくても、わたしのものを買ったりつくったりするときに、彼女らから意思確認がされないことは少なかったような?
決して、自分の意思に反して着させてもらえなかった・買ってもらえなかった、なんてことはなかった……のかなぁ?*山名は今、首をかしげています。

確か、わたしの初バイク(自転車)は、兄のおさがりで。今思えば「自力で乗れるようになるまで"とりあえず"コレで練習しれ」的な話だったかもしれないんだけど、そのときの男子感マックスの青色と、自分は新しいものを買ってもらえなかったという記憶のインパクトが強すぎて「わたしは、女の子らしいものを身につけさせてもらえなかった。兄のおさがりばかりで、新しいものを買ってもらえなかった」と思い込み、引きずって、生きてきたのかもしれません。

歴史を捏造したのは、わたしだったりしてーん。

保護者のみなさん、そして兄。勝手に悪者扱いしてすみませんでした。

記憶というのは、その人の解釈で、その人が作り上げるものである。それを、改めて感じた私的エピソードでした。

自分が真実だと思って疑わなかったこと。他の人から見るとどうなのか、客観的に見るとどうなのか。また、どのくらい普遍的な事実なのか。視点を変えて考えるのが、よかったりします。
そして、そのときの自分が感じたこと
それを信じて生きてきた自分を、「それは勝手な思い込みだよ」と一蹴せずに、「そう思ったんだ。そう信じてきたんだ」って、否定せずに受け止めるのも非常に大切です。
そう感じ、信じることで得てきたものが
必ずあるんで。
気づいて受け入れてそして要らないものならくるくるポイだ。