耳のないパンを焼く41の方法。

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なにもしないことで人をケアする人をケアする人が必要なーる。

コーチングやNLPのスキルの維持・向上目的で、人の話をよく聴くようになった。コーチとしてはもちろん、知らない人が集まる場所に(zoomで)顔を出したり、配偶者の社会人然としたアドバイスもしっかり拝聴することにしている。子どもの話も基本的に自ら遮ったりはしない。人の話を聴くことは楽しく、苦ではない。ひとつまえの記事で書いた「聴き方」にも注意を払っている。否否。「注意を払う」時点であかんのかもしらん。聴き方や聴くタイミングをちょっとずつ間違って、そこで気づけば軌道を修正して、アドバイスはありがたく拝聴するし、自分で立て直すすべだって心得て……心得ているもん……なんてしているうちに、ちょっと疲れてしまったようだ。プチ更年期障害がダメ押しとなり、息子のひとことに半ギレして寝込んだ昨日。

昨夜、読み途中の「急に『変われ』と言われても」を手に取った。第五夜「子どもたちはどうする?」の中に、人間には「ただそばにいてくれる」人がいるって重要なわけだけど、実は「なにもしないでそばにいる」側はすごく大変なんだというようなことが書いてあった。なんにもしてないから、人の目には留まらないわけで。アクションを起こしているわけではない(ように見える)から、評価もフィードバックも基本的にはない。自分で自分を整えるしかない。以下引用。

何もしないことをやり続けるには、自分自身も強くなくてはいけない 

しかしながら、僕らはみんな人間である。なにもしない人にも「それを知ってくれる人」が必要、だとも書いてある。再び引用。

ケアする人をケアする人が必要

ああ、コーチにコーチが必要と言われるゆえんはここに。わたしもコーチが欲しい。どうしよう。そこに投資するだけの資金が今のわたしにはない。

ところでこれって「お母さん」にもすごくあてはまらないだろうか。子どもには、ただ寄り添ってくれる存在が大切で、その役を担うのは高確率で母親だったりする。母親業や主婦業が社会的に正当な評価や扱いを受けてないんじゃないかっていうのは以前から言われてるけども、わたくしども主婦・母親に「なにもしないというケア」をしてくれる人がいたらなんぼ救いになるか。

そこまで思いを巡らせて、わたしには話を聴いてくれる人がいることを思い出した(家族が聴いてくれないとかそういうことではない)。ここ数か月顔を合わせても「疲れは感じるけどふつうに大丈夫です」「それはよかった」で終わっていたので、忘れていたよ。自分だって元気な時は「なにもしない人」の存在をしれっと忘れているではないか。ああ、こういうところだよ、わたし。

書いているうちに再び持ち直してきたような気がする。寝倒した昨日。今日の目標は「一瞬でいいから家から外に出る」。小さな一歩から。洗濯物干しに出たからいいか?

急に「変われ」と言われても ~「この先どうすれば?」が解決する、先駆者たちの言葉~

 

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