子どもが約束を守らない。うんあるある。ところでそのお約束、出どころはどこだろうか?紐解くと親の「こうしましょうね」に、子どもが「イエス、マム」と言っただけだったりする。一見互い同意の上に成り立ってるようだけども、その実子どもの意思は汲まれていないうんあるある。ソフトな指示命令。約束したにもかかわらず、履行しないばかりか他ごとを始めるなんて話もしばしば聞く。親にやれって言われたことと、自分で思いついたことと、どっちに意欲的になるかっていったら後者である。致し方ない。ルールや約束ごとの取り決め時には子どもも参加させたげて。採用はできなくても意見は聞いたげて。「参加させる」だけじゃ意味がない。「参加した」って感じてもらうことに意義がある。ほんとに自分で決めた約束なら、守ろうって気持ちも膨らむものです。幼いほど明後日の方向でものを言ってくれるばかりで建設的な話し合いは難しいかと思う。でも「親が自分の意見を聞いてくれる」「自分はひとりの人間として尊重されている」って感じられる土壌は早くから作るにこしたことないよ。自己肯定感自己肯定感。
本日自戒を強く込めて。