耳のないパンを焼く41の方法。

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自分が変われば上手く行く前の話。

サンキュ!STYLEで記事を書いています。

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ビジネス書や自己啓発系書籍の多くにシャチハタ押印のノリで記されている文言がある。

他人は変えられない。自分が変わるんだ。

コレ系メッセージを見るたびにうっせぇ!と耳を塞いで負け犬よろしく逃げてきたのがわたしである。なんでそうだったのかわかった気がするので書く。

他人や環境のせいにしない、自分の言動を変える、というのはつまりわたしというマッシーンのハンドルは自分で握って動かせって事でしょ?誰かの車に相乗りしたり運転を任せたきりで行きたい場所にたどり着けないと文句を垂れるなと。違うかな。まあそう仮定して話そう?

で、「自分が変わりなさい」って言われても「分かってるけどできないんだもん(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)」って思ったり「できない自分がイヤ」ってなっちゃう人がいる。そういう人って「運転席に座ってはいるけどハンドル触れてない状態」なんじゃないかなって。

例えば(自動車やら電車やら、わかりづらくてごめんやで)。電車の乗り換えでホーム移動してて、それなりに混んでて、目の前を歩く人がゆっくりで思うように進めないとする。結果移動に時間かかって予定してた電車に乗れなかったとする。

人のせい理論でいくと「最悪や。目の前のあいつがのろのろのろのろのろのろ歩いとるからあかんのや。だからBBA(うっせぇ!)は!大体人多すぎ」になるわけでしょ?で、余計に急いで他の人押し除けて「ウザい、どけや」みたくなる。

自分が変わる論で生きてる人は恐らくそんな事しないよね。前の人になにか理由があって速く進めないのかもと想像するし、堂々と歩きスマホするような人なら自分から遠ざかる。あらかじめこころ穏やかでいられるように時間に余裕もって出るわな。(自動車の例えに一旦戻る)それが自分のマッシーンを自分で運転する、感情や行動をコントロールする。ひいては周囲にムダな迷惑をかけない。もしかしたらよい気分にさせちゃうかもしれない、て事かと。

リワインド。人のせいにもできないし、自分で言動を決めていけもしない人は「あわわわわ人がいて進めない、乗り遅れる、遅刻する、怒られる、嫌われる、またぶつかった、痛い、怖い、失敗した自分のバカバカバカ」ってパニックと自責に陥る人ではと。(自動車に戻る)うまくいかない事に対して漠然とヤバい、自分が失敗したとは思うんだけど、対処できない。ハンドル握ってないから。急ぎ道に渋滞ハマって両手離してオロオロしてるようなもんで。ひとしきり怖いけどなんとかなるかならやいかはその時の運次第。目の前の事に注力しすぎで視野は狭いが他人のせいにはしないからある意味まじめな人だったりしな……ああこうして書いてるのか今の自分じゃなくてせめて過去の自分の事でありますように。

とりあえず目の前のハンドル握るところから始めようぜ!運転席から前方見ないと目の前の人間が悪気なしに前を塞いでるのかアレなヤツなのかもわかんないし。よくよく見たら空いてましたー説もありそうだし。自分の車に運転手として責任持って乗りこむ。全てはそこからだ。

大体のビジネス書・啓蒙本は「物事が進まないのを人や環境のせいにする人」が変わるハウツーについて書かれている気がする。「変わりたくても人のせいにもできなくて困ってる人」についてはあまり言及されてないんだと思う。だからと言って書籍が変わってくれるわけじゃないから、「世の中には自分の不幸は全部人のせいって信じて疑わずに堂々と生きてる人がいるんだな」って、へぇーって思うとこから始める事にしたわけです。

与えられたマッシーンのスペックは自分じゃ決められないんだから、全部全部が自分のせいではないんだよ。この世のネガティブトピックを全て押しつけられたりはしないから安心して。そこから、よろしくない事象をどう捌くかってなって、初めて人や環境のせいにして終わるか、自分で動くかって話になる。自分で動くには「人の助けを借りる」も含まれる。まとまんないけど終わり。どんまい、わたし。

 

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